お気に入りのランチボックスの中にはママのお手製のピーナッツバターサンド。 いつもおいしいと感じるのに、その日だけは味を感じることができなかった。どうして? 授業の始まりのチャイムが学院じゅうに響き渡る。ミモザ先生が入ってきて、早速教科書を取り出し、長文を朗読していた。子守唄のように心地良い声だけが聞こえる教室。窓から入る涼しげな風の音。寝ていたら怒られてしまうけど、みんな眠気が抑えられない様子で、教科書には目をあてていても内容までは聞いていなかった。 私の座っている席の、ななめ前の彼も同様で、頭を覆っているヘッドホンから流れる音楽の方に集中していることはわかってる。いつだって。 教室を通り過ぎる風が彼の空を映したような髪をくすぐる。私はそれを見るのが楽しかった。不思議なの。見ているだけで、自然に顔が緩んじゃうから。 終業のチャイムが鳴ると同時にみんなは一斉に教室を飛び出た。 それは当然私たちも同じで、窓から吹き抜ける風のように急いで中庭へ駆けていった。 キレイに刈られた芝生が生い茂る中庭で、みんなでランチボックスを開く。私のお昼はいつもママのお手製のピーナッツバターサンド。だいすきだからとっても嬉しい。 ふと、自分のランチボックスを眺めてみた。側面に自分の名前が綴ってあった。それからちらりと彼の方に視線を移す。彼はライムやナッツと他愛無い話を重ね合っていた。こっちを向かないかな、なんて期待してる私に気付くはずも無く。 横を向いてみるとジャスミンが私の方をニヤニヤとした目で見ていた。私の考えてることなんてお見通しよ、なんて言ってるような目がなんとなくからかわれてるようで恥ずかしい。 「な、なあに、ジャスミン」 「気付いてないのは当人たちだけなのよ」 そのジャスミンの遠まわしな言葉に私はさらに照れ臭くなってしまったから、慌てて目を逸らしてピーナッツバターサンドにかじりつく。 サンディが身を乗り出してきて、 「あんたのママのピーナッツバターサンド、とってもおいしいのよね」 「うん。でも、サンディのママだってすっごくお料理上手じゃない。素敵だわ」 彼女は甘そうなハニートーストを片手に微笑み返してきた。ライムたちも話に混ざってくる。自分のママの自慢話、今学期の成績の話、近所のおじさんのおかしな話、沢山そんな事を交し合っていた。 それだけで、そのときはいいと思っていた。 「シナモンのランチボックス、センスいいね」 彼は、私にそう言ってきた。一瞬心臓が体の中を飛び跳ねたようだった。自分の周りを包む時間が止まったように思えた。でも変わらず風に撫でられて芝生は小さく揺れていた。 「ありがとう。私もそれすごく気に入っているの」 必死で繕う返事。ぎこちなかったかは自分ではよく分からなかった。みんなはそれぞれで話していて、私たちの話には気付いていないのが幸いだった。絶対しどろもどろしているに決まってるもの。 「シナモンのスペルってC・I・N・N・A・M・O・Nだったんだね」 少し落ち着いてきて、いつものように彼の言葉を聞けるようになった。それでも凄く嬉しかった。今この世界じゅうで私のスペルを呟いたのは目の前の彼だけという事が、とても誇らしげだった。何故いきなりそんな事を言ってきたのかは、すぐに判った。彼の眺めるランチボックスに私の名前が書いてあったから。 「クローブは、C・L・O・V・Eよね」 そうだね、と穏やかな声が返ってくる。そこに残るはずもないのに、私は今口にしたスペルを芝生越しの地面になぞっている。スペルミスなんかしないくらい自信があるの。時間がゆっくり流れる気分で、今天気のいい日の学院の中庭でこうしている事を永遠のように感じながら祈る。ずっとこうしていたいと。 「クローブ、こうやって、あなたのCをとったら、何になると思う?」 彼のスペルの一番最初の文字をなぞった芝生の上から指先で、軽くバツ印を重ねる。耳にはお昼休みのざわめきが、微かに届いてくる。風が木漏れ日を揺らすような僅かな音だった。 彼は私の問い掛けに、間も空けず答えた。 「L・O・V・Eで・・・・・ラブ?」 あなたは普通に呟いたのだけど私の心の熱を上がらせるのには充分なの。なんだか顔が夏の太陽よりも熱くなったような気持ち。私だけに言ってくれたのだと、嬉しくなってしまう。彼の言葉に満足してしまう自分は卑怯なのかしら。 顔を上げられない。まともに顔を見ることができない。どうしよう。絶え間なく恥ずかしさが溢れてくる。きっと今の自分は蟻のように、誰も気に留めないちっぽけな存在となっているんだろう。 どうしたの?なんて声を掛けて私の様子を窺う彼。勢いに任せて顔を上げてみると彼は呆然と私の顔を見ていた。 「気分でも悪くなった?」 「ううん。・・・なんでもないの」 そんなんじゃないのに。そんなんじゃないのに。 騒がしい静寂が2人を包んだ。胸の奥が焦げるような気分になったから、その辛さも飲み込むように残りのピーナッツバターサンドを一口、また一口とかじる。暫く刺さった彼の視線も気まぐれな風に溶け込んでいった。 「午後の授業始まるからそろそろ戻るわよ」 みんなは既に校舎へ向かっていた。殆どの生徒が次の教室へと移動していたから、もう中庭というステージには、真上に輝く太陽というスポットライトを浴びている彼と私の2人しかいなかった。私は急いで立ち上がる。彼はゆっくりと腰を持ち上げる。空になったランチボックスを抱えて、芝生を擦るように駆け出した。 気付いてた?私はおいしそうにランチを食べていたように映ったのかもしれないけど、ほんとうは全然味なんてわからなかった。味なんてしなかった。嬉しさと虚しさが入り混じったピーナッツバターサンドは少しだけカサカサだったの。 クロシナですいません。ピーナッツバターサンドの写真がなかなか見つからなくて・・・; シナモンの独白のようなもの。というか日常なんだけどもそこから少しズレているような微妙なところ。 曖昧でその上偽者ばっかですいませんが私自身こういうのだいっすきなんです。 合ってた。良かった(笑 040618 |